天国映画村とは、邦画を中心にみて分かち合いをする集いです。SIGNIS JAPAN 「カトリック映画賞」の選定にも参加しています。
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2004/11/29(月)00:56
パッション 
THE PASSION OF THE CHRIST
製作年:2004年
製作国:アメリカ・イタリア合作
上映時間:2時間7分


晴佐久昌英神父のコメント  

痛い映画だけど、見ておいたらいいと思います。ただ、その理由は、映画として優れているからとか信仰を深めるために必見ということではなくて、この時代にキリスト者として生きている者として、これほど多くの人に影響を与え、影響力を持った映画っていうものがどういうものなのかを知っておく義務、とまでは言わなくとも、責任の一端ぐらいあるかなって思うからです。ぼく個人としてはそんなに褒めちぎる気は全然ないし、これで信仰が深まったってわけでもない。皆さんの年齢を考えると、わざわざ映画館まで出かけて、2時間もあんなに痛い思いをさせるのはちょっとはばかれるっていうのが正直なところです。でも、この映画の影響力を考えたらやっぱり知っておくべきではないかと。ともかく、ものすごい影響力!今まで、色々なキリストの映画が作られましたけれども、群を抜いて影響力がある。いい、悪いの問題じゃなくて、事実としてすごい影響力があった。アメリカ、オーストラリア、フィリピン・キリスト教国にこれほど影響力を与えたっていうことは何故なのか、この映画のどこにそういう影響力があるのか、っていうことをみんな、自分の頭と信仰で考えてみるのは、この時代にキリスト教徒として生きていく上ですごく意義あることだと思いました。もっとも、どんなに痛そうに見えても主役の人は血を一滴も流していませんので(笑)、どうぞご心配なく。毎日新聞の映評だったかな?「あんなに鞭打たれたら、ゴルゴタの丘に着くずーっと前に死んでいるはず」なんて書いあって、思わず笑っちゃいましたけど。昔の鞭ってただの皮の鞭じゃなくて、鉄の鍵がついていて、皮膚にガッとくい込んで裂くようなものなので、めり込むその映像には思わず「ウッ」と来ますけど、「上手に作ったね~」と見ときゃあ、あまりショックも受けずにすみますから。擬人化した悪魔が出て来たり、地震で神殿が割れたりするのもいかにもハリウッドって感じで、なんだかな~と。ただ、幾つかのことは言えると思う。 

パッションタイトル

ひとつ、僕が一番感じたことは、今、森岡正博の『無痛文明』っていう本を読んでいるせいだと思うけれども、<今の時代が痛いことを避けよう避けようとしている世の中だ>ということが、まず大前提としてある。・・・痛いこと大嫌いですよね。先進国であればあるほど、金を持っていればいるほど、権力を持っていればいるほどひたすら痛みを避ける。ほとんど神経症的に。もちろん痛いことを避けたいと思うのは、当たり前って言えば当たり前だけれども、痛みの本質、その意味を見失って、無痛であろうとすることだけを求めるのが、果たして本当の幸せ・・・それこそが究極の幸せなのか?って言うと、「そうじゃあないんだよ」っていうのが十字架の痛みと復活のよろこびを信じている我々、キリスト者の本質であるわけですよ。何もマゾティスティックである必要はないけれども、痛みの中に秘密があるのだから、麻薬中毒のように、ただただ痛いことを見ないようにして楽しようとすることは、実は死の世界であり、痛みで人と人がつながるいのちの世界から遠ざかるという意味では罪の世界でもあるわけです。・・・痛みにおける共感、イエスの十字架と復活とはそれを差し示しているし、僕らはそこから離れまいとして日々、十字架を背負い、その十字架の向こうに復活の栄光をあおぎ見ているわけでしょう。すべての痛みは生みの苦しみであると信じて、キリストと共に痛いことから逃げない、・・・それが周りを幸せにするし、自分の大事な人たちを真の意味で大切にするし、ひいては自分を本当に幸せにするんだっていうところから目をそらさないようにする。これが信仰の原点にあるはず。そういう意味で、現代という痛みから目をそむけたふわふわした時代にあって、この痛い映画が持っているインパクトは強いのではないか。痛みと共によろこびを捨てたような時代にあって、みんなが深いところで潜在的に求めている何かを探り当てているとも言える。これが一番感じたことですね。だからある意味、痛くなきゃあ意味がないわけですよ。痛い思いをさせる映画なんだよね。キリストも実際に痛い思いをしましたし、その痛みが世を救い、その痛みが全ての人を癒すと信じるキリスト教徒までが、無痛キリスト教になりかけている時に、インパクトがあったとも言える。・・・
 今、中毒的でしょ?世の中がね。『マトリックス』っていう映画が、人間がみんな実際は機械に眠らされてつながれていて、中毒のように麻薬を射たれながら脳だけ生かされているみたいな恐ろしい映画でしたけれども、ある意味、すでに今この世はそうだろうと思うんですよ。痛みをさけることが至上の命題でしょ、今この時代を生きている我々は。部屋に蚊一匹で大騒ぎでしょ?ベープ買って来るわ、殺虫剤シューッてまくわ、まるでゴジラに襲来されたみたいな感じ。実は私、この間もう体験したんです。蚊一匹で眠れなくて、翌日べープを買いにいったらまだ売っていなかった。「まだ季節じゃないからありません」って言われて、絶望的な気分になって。でも、よく考えてみたら、人は虫に刺されて生きていくんですよ。イラクでもアフガニスタンでもどこでも。今まで何百万年もそうだったし、これからも何百万年もそうでしょう。そんな中で今の時代だけが完全無菌状態みたいなことをして、ちょっとでも楽しよう、ちょっとでも不快な思いをなくそう、ともかく清潔で痛いことから目をそむけようとして、イヤなものは全て施設か病院か留置所に放り込んで。・・・ホームレスなんかいたって見ても見ないような顔をして・・・ともかく、自分はもう悩んだり、不快な思いをしたり、痛みを何も感じずに生きていこうとしていることの実際の恐ろしさを知っておくべきでしょう。目をそらしたら真の幸せまでもが痛みと一緒に消えちゃう。すごく恐ろしいことだと思う。子を生む時痛いけど、その痛みがなきゃ子どもを生めない。当たり前のことなんだけれども、物事の本質はそうなっていることを受難と復活が示している。もう一度、痛みの問題をクローズアップする格好の映画であることは間違いない。

 もう一つは、これはメル・ギブソンの信仰告白だっていうこと。実際、彼はアル中だったし、鬱だったし、非常に辛い思いをした。彼はすごく敬虔なカトリック教徒ですけれども、この鬱とアル中の闇から信仰によって救われたんです。ある時、先輩の信仰者から「聖書を読め。祈れ 」と言われて、ホントに祈って十字架を見つめ、何度も聞いた受難の物語なんだけれども、それまで真に読んでいなかった。僕らも「十字架につけろ、十字架につけろ」なんて受難の日に平気で言っているじゃない、毎年毎年。でも本当にそこで一人のイエス・キリストという存在が殺されたこと、しかもその彼が決して復讐せずにその痛みを負ったこと、それらがすべて自分を救い、自分を許すためだということを、リアルに信仰の基本として感じた時にメル・ギブソンは変わった。彼は生まれ変わってキリストの十字架がはっきりと見えて来て、その感動のためにこの映画を作った。つまり、これだけのものを作るにはそれだけのモチベーションがある、っていうことですよ。それだけのモチベーションがなければこれ程の映画は作れないでしょう。『偉大なる生涯の物語』とか『奇跡の丘』とかイエスを扱った映画は色々あるけれども、それぞれのモチベーションで作っているわけで、それはそれぞれで、悪いことじゃあない。ただ、いやおうなしにその人の信仰が表れるわけでしょ?映画に。『汚れなき悪戯』をみて、かわいそうなマルセリーノが「ママに会いたい」って言うと、神さまが奇跡を起こして下さって感動します。よかったね・・・と。でも、そういうのを作る人は、それがある意味で彼の信仰告白なんであって、それはそれで別にいいわけです。ただ、母を亡くしたマルセリーノがイエス様に抱かれて天に・・・なんて、そんなある種センチメンタルな映画で、果たして作者はどれほどの信仰告白ができているか。

 現実の世界で、どれだけの子ども達が殺され捨てられて、ひとりぼっちになって苦しんでいるかっていうことを見た時に、こっちは何ひとつ痛い思いをせずに「あぁ、マルセリーノ、良かったね」みたいな映画に今、どれほどの意味があるか。メル・ギブソンの信仰告白は自分の罪と痛みをイエスが引き受けてくれて、それによって私は癒されたのだ、という信仰告白。非常にパーソナルで、リアリティがある信仰告白なわけです。そんなモチベーションをもって映画を作った人は今までいなかった。そして、それだけのモチベーションをもって映画を作るとこれだけの影響力があったんだっていうこと。それがこの映画の秘密。ある一人の信仰者が、いい、悪いは別にしてすごく強烈に自分の信仰を意識して映画を撮った。だから、私財を投げうったわけでしょ。2500万ドル? もしみんなから全然相手にされなくて大コケにコケたら、ただの散財になっちゃうでしょ?ところが、もう25億円どころかその100倍儲けたそうですから、大変いい投資をしたっていうことになるんだけど。本人だって、ここまでみんなが見てくれるとは思ってもなかったと思う。キリストの最後の12時間っていったって、「もうイイよ、そういうのは」って言う時代に思えるでしょ?でも、実はみんながそれを求めていたんだっていうこと。このような映画が当たったことが今の人たちの無意識の飢え渇き表しているんだろうね。そういう意味で、一人の人の信仰告白がこれ程影響力を持つというメディアの力という意味でも、この時代にあってのある事件に立ち会うっていうような感じで見に行くのは意義があるだろうっていう風に思いました。

 あと、マリアがなかなかいい。イエスと痛みを共にするという意味で、マリアこそ最高のイエスの弟子だということがよく出ていると思う。まぁ、反則だよって思うのは、最後の方に、言っちゃっていいのかどうか、カメラ目線があるんですよ。カメラ目線、ご存知でしょ?本来なら、役者はカメラを見ちゃあいけない。ところが最後のあるところで、マリアがこっちを見るんですよ。あれはショックだよね。聖母が私に、何かを言おうとしているというか「これをあなたはどう受け止めるのか?」って問われているような。ルール違反だけれど、得がたい効果があるっていう意味で評価します。『JFK』っていうおバカ映画で、ケビン・コスナーが最後カメラ目線で正義を訴えた時には映画館を出ようと思いましたけど、これはいい。昔、タルフスキーの『サクリファイス』の中での天をあおいでいる主人公のカメラ目線、あれも素晴らしかったな。めったに使っちゃあいけないお約束なんだけれども、今回のはちょっと衝撃的でしたね。ああいうことが出来るのは、やっぱりこれだけ力があるテーマだから。十字架の元にいるマリアだったらこっちを見ても良いだろうっていうくらいの迫力がありましたね。その聖母とイエスのくだりについては、センチメンタルに泣かされるところもあって、でも、それは信仰云々っていうことと微秒なズレもあったりするわけで、さて、皆さんは、どう思うでしょう。
 
 何にしても、すごく昂揚させられるような内容でもありますし、これで奮い立って「さぁ、これを見に行け」と勧める牧師さんとか多いようですし、何万枚というチケットを買って配った企業社長がいたりとか、特に保守的なキリスト教、どちらかというと原理主義的に聖書を読む人たちにとっては、とても影響力があったわけです。だた、僕なんかは個人的な感想としては、十字架と復活ということは、やっぱり一人ひとりの魂の世界の出来事であって、それをこのようなリアルな描写との間にどのような関係があるのかっていうのを、すごく考えさせられました。最終的には、イエス様は「見ないで信じるものは幸いである」と言って聖書は終わっているのに、こうしてハイテクな技術で視覚的に見せることにどれだけの価値があるのかなあっていうことをみんなも考えてみたらいいと思う。特に、キリスト教徒以外には、善悪二元論的な描写は誤解されやすいし、まず生前のイエスのことばとしるしをしっかり体験した上でなければ十字架だけ見ても誤解されやすい。最も危険なのは、個人的なキリスト教になるという恐れがある。あくまでもイエスは「教会」体験でなければならないし、その意味でもこういう作品をこうしてぼくらのように「教会」で扱うのが正解でしょう。メル・ギブソンの「復活体験」をみんなで共有できるなら何がしかの意味はあると思う。

 まあ、史実に忠実に作っているという意味では、完全ではないけれど、ある種、僕らのイメージを作るためには「あぁ、中庭ってこんなんだったのかなぁ」とか「エルサレムはこんな感じで、こんな所を担いで歩いたんだろうなぁ」とか「当時の人たちの服はこんなんだったんだろうなぁ」っていうのが、お勉強のためにも役立つでしょうが。まあ、どうしても血を見たくないって言うんだったら、鞭打ちが始まったところで下を見て、十字架の道行きかなんかをしていたら(笑)いいでしょう。ただ、長いんだよね、鞭打ちシーンが。 とにかく、宿題映画にしましょう。
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またSIGNIS JAPAN「カトリック映画賞」の選定にも参加し、<メディアを通しての福音的ネットワーク作り>を目指しています。
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